昨日書いたばかりのカノープスだが、今夜はよく晴れていたのでチャンスとばかり、8時になると部屋の明かりを消して真っ暗にし、じっと南の空を見つめた。
シリウスはキラキラと輝き、すぐに見つかった。その西北にはオリオン座の1等星リゲルも確認できる。
大犬座の2等星以下の星もいくつか確認できて、そのあたりをしばらく双眼鏡で眺めていると、ついにそれらしき輝点を発見した。
雲か霧が発生していて時々見えたり見えなかったするが、どうやら本物らしい。残念ながら肉眼では確認できず、また使っている双眼鏡はスポーツ観戦用なのであまり明るくはない。
でも間違いなさそうである。
ついにやった!!!
今度は画像に残して証拠にしなければならない。
だが困難はますます増し、もはや絶望的である。
バカチョンデジカメしかないのである。
それでも可能な限りの設定をして、手持ちながら奇跡を信じて何度もシャッターを押した。その中の1枚がこれである。ノイズ除去なども行わず、あえて無修正で載せた。この中からカノープスが写っているかどうか探していかなければならない。
詳しい星座図すらないので難しいが、暇つぶしにはもってこいの作業かもしれない。
昨年末緊急入院して約8週間が過ぎた。
この間病院から一歩も外に出たことがなかった。今日は日曜日でロビー周りにも誰もいず、少し歩いて見ることにした。
何度も書いているようにここ甲南病院は六甲山の中腹にあり、眼下には東灘区や灘区が一望できる。またその向こうには神戸港や港内の人口島や、神戸空港も眺めることができる。
病院の設立についてはまた書く機会があろうかと思うが、その外観はちょっとノスタルジックであり、華やかな神戸開港の香りがする。当時はすごくモダンな建物であったにちがいないし、私が神戸に移住してきた20年ほど前に訪ねた時、院内が赤い絨毯で敷き詰められていたのが印象的で今でも思い出す。(さすがに今はリフォームされている)
外に出てみた理由は実は他にある。
数日前に看護師さんから、庭の梅の木に花が咲いているという話を聞いたからである。
梅ノ木は玄関から少し坂を下ったところにあった。白梅である。冷たい風が強く吹いていたので残念ながら香りは楽しめなかったが、もう春なんだなと感じさせてくれた。
玄関から梅の木まで数mだが、かなりな傾斜があった。それでも普通ならトントンといける行程なのに、今の自分には30度の斜面を滑る前のスキーヤーのような緊張感があり、足がなかなか前に進まなかった。自分を支える自信がないほどふらつくのである。
治療によりどこまで回復できるか分からない。でも今までできたことがかなりできなくなってしまうかもしれない。外を歩くことも難しいかも知れない。
でもまあいいか。幸い手のほうは指先の痺れくらいで力は入るので、車椅子なら使えるだろうし、こうしてパソコンも使える。
今はとにかく抗がん剤治療を克服することだ。
近頃の夜の楽しみがカノープス探査である。
カノープスは大犬座のシリウスに次いで、全天で2番目に明るい星であるが、あまりにも南にあるために滅多に目にすることが出来ない。そのためカノープスを見たら幸せになれるという言い伝えがある程である。
今の時期はそのカノープスを見る少ないチャンスである。
1月後半から2月の前半にかけて、カノープスは夜空が暗くなるとともに東の空から昇り、8時から9時頃に南中してもっとも高くなる。しかしあまりに南に遠いため、最も高く昇っても双眼鏡の視野で1個半くらいで、大概そのあたりには雲や霧があって星を隠してしまう。
幸いこの時期は気温が低く、夜は水蒸気が少なくて晴れていることが多い。雲さえなければカノープスはマイナス0.7等星なので肉眼でも充分明るく見ることができるが、双眼鏡があると探しやすい。
20年前に神戸の海上都市に引っ越したとき、当時はまだ南に建物がなく、この時期になるとリビングのテーブルからカノープスを肉眼で見ることができた。本格的な天体望遠鏡を車に積み、夜毎星を眺めに出かけるホシミストであった私は、しばし至福のときを過ごしていたものである。
今はマンション群に遮られて、高い空しか見ることができない。
カノープスを見ると縁起がよく、寿命が延びるといわれている。今入院している病棟は南向きの山の中腹にあり、南方は何も遮るもののない絶好のロケーションである。何とかあやかりたいと、8時頃になると部屋の電気を消して暗くし、窓を開けて空を眺めているのだが、まだその幸運に出会っていない。
今日は季節を分ける節分であり、明日は立春で早や春だそうである。
ひと月以上病棟から一歩も出ずにすごすと、暑いのだか寒いのだか分からなくなる。世の中の動きは、テレビやネットで一応分かるのだが・・・・
夕食に節分の福豆とカードが付いていた。辛い闘病を続ける患者には、嬉しいプレゼントである。
阪神淡路大震災から今日で14年目になる。
今朝はなぜか5時過ぎから目が覚めた。外は真っ暗闇だった。当日、私は仕事で他県にいたので分からないが、被災した家族の話によるとあの日も暗闇の中で、いったい何が起こったのか、事態を把握するのがしばらくは困難だったそうだ。
今の時間は被災地では地獄の様相だっただろう。震災のことを思うと必ず涙が浮かぶ。
毎年この日には震災モニュメントに追悼に行くのだが、今年は入院中で行けそうにない。病室の窓から真下に見える東灘区はもっとも被害の激しかった街である。
静かに手を合わせた。
先週の金曜日に突然ネットに接続できなくなった。
サポートセンターに電話して調べてもらったら、モデムがクラッシュしているらしい。なるほどランプがなにも点いていない。
すぐに交換を注文したが、あいにく土日を挟んでいるので発送が月曜日になり、機材が到着するのは火曜日か水曜日になるとのこと。電話も光電話を使っているので通じない。電話は各人携帯を持っているので支障はないが。
そういうわけでホームページの更新やメールのチェックが数日間できなくなった。毎日チェックしているブログの閲覧もできなかった。
体調がよくないので寝てばかりいるこの頃は、社会との接触はもっぱらネットに頼るようになった。これがちょっとした機械の故障ですべて遮断されてしまうシステムは心もとない。
「便利」という価値は、同時に「脆さ」を含んでいる。
すべてが人工の島六甲アイランドには天然の木は一本もない。それでも秋はちゃんと来る。
久し振りの青空に、色付き始めた紅葉が映える。
神戸北野町を歩いたのは久し振りだ。
観光シーズンの土曜日とあって賑わっていた。

里山はすっかり秋色。
今年はお米も柿も栗も豊作。
夏に蒔いた蕎麦が黒い実をつけている。友人などに手伝ってもらって約2aくらいの蕎麦を刈った。機械が使えず手刈りなので大変だが、人海作戦の威力はすごい。思ったよりずっと早く刈り取ることができた。
しばらく天日に干して脱穀し、臼で粉に挽く。自家製の蕎麦粉を使い、手打ちで打った蕎麦は美味しいゾ!
今日は体調がいいのでどこかに出かけようと思ったが、小雨模様で天気はよくない。そこで須磨の水族園に行くことにした。それに最近近くにJRの新駅が開設されたので、電車で出かけた。
シーズンなのか、館内は園児がいっぱい。嬌声を上げることもなく、みんなお行儀がいい。水槽内のお魚も一緒に「はぁ~い!1列に並んで!」


秋晴れの空の下、もう1つの幼稚園で運動会が開催された。こちらはお遊戯より競技中心で、間違いなく盛り上がる。最後はみんなで賑やかな踊り。
四条河原町から祇園辺りに向かう途中、高瀬川でコサギが一心に餌を狙っていた。夜はネオンが煌く界隈だが、意外と野生が活きている。
花街の隣にある禅寺、建仁寺の庫裡入口にフジバカマが飾ってあった。菊や紅葉で京都が賑わうにはまだ1月ほど待たねばならないが、秋はすでに近くに来ている。
食育活動でお世話になっている魚崎の幼稚園で秋の運動会が催された。ちっちゃい子供たちが一生懸命に遊戯などを行っているのを見ていると楽しくなる。
最近の運動会や学芸会(とは言わないが)は特別な競争や演技ではなく、普段の保育の様子を見てもらうのが趣旨だそうだ。でもやはり一番盛り上がっていたのは、1つだけあったリレー競争だった。
8月の初めに薬師寺を訪れ、古の文化の香りに触れることができたが、1つやり残したことが気になっていた。
それは夕陽に照らされた2つの塔が夕闇に浮かびあがる様子を眺めること。
台風が南海上で消滅し、北から高気圧がせり出してきた今日が絶好の日と見て、まずは奈良市内で蕎麦を食べたり、解体修理中の唐招提寺を拝観したりして、陽が西に傾くのをまった。薬師寺の門を通り過ぎて大池といわれる池の南側からポイントを探した。
春日山や若草山を背景にしたちょうど良い場所を見つけたが、ちょっと遠くて望遠レンズが欲しい。でも何とかがんばって写してみよう。
陽はまだ高くそれから2時間あまりじっと待った。ようやく周りが薄暗くなった中に、赤い夕陽に照らされた塔が浮かびあがる瞬間を見ることができた。
美しさに見とれながらカメラのシャッターを切っていたら、その瞬間はあっという間に過ぎ、狙っていた写真は数枚しか撮れなかった。
暮れる前の大池。どこに塔があるか分かりますか?
瀬戸内海に浮かぶ香川県の小豆島に行った。目的は棚田百選の中山の棚田を見物すること。
小豆島の特産品はオリーブと醤油と素麺。明治時代に日本でもオリーブを栽培しようと各地で栽培試験が実施されたが、温暖で日照時間の多い小豆島が最も適していた。
当時の木が原木として保存されている。
道の駅にあるオリーブ公園は地中海のイメージで作られている。陽光あふれるこの地によく似合う。いろいろなオリーブの種類が植えられている展示園も勉強になる。
でも、異常に立派なホールや温泉施設を見ると、何だコレッてなる。
小豆島の中心部に中山という地区があり、懐かしい田園風景や農村文化が保存されている。これは中山農村歌舞伎舞台で、廻り舞台装置などもあり、非常に立派なものである。今も年に1回公演が催される層である。
舞台の裏には急峻な斜面に千枚田がいく層にも築かれている。写真は棚田の一番上にある湯船山の湧き水から棚田を見下ろした風景である。
日本名水百選に選ばれた湧水は千枚田に用水として流れ、またここのお堂の境内には色々な巨木が何本も植わっている。
千枚田については本編で紹介したい。
泊まったホテルの窓の下には潮が引くと沖の小島に向かって砂地が現れる。バージンロードと呼ばれ、恋人たちに人気だそうである。
島の東側に聳える岩山は寒霞渓などの観光地として有名である。特に秋の紅葉の頃は絶景だそうだ。
車でも登れるが、渓谷美を堪能するためにロープウェイを利用し、しばし空中散歩を楽しんだ。

壷井栄の「二十四の瞳」のモデルとなったとされる岬の分校は廃校当時のまま保存されている。こんな場所の記憶はさすがに自分にはないが、なぜか懐かしい思いがこみ上げてくる。協調、希望、思いやり、・・・などの素朴な気持ちが思い出される。
小豆島は昔から石材の島である。大阪城の石垣材などもここから切り出された。島の北側の北浦の道の駅には記念公園が設置され、石切の歴史や往時使用された道具などが展示されている。
見るべき所をすべて回っても、小さな島内には3日目にはもう行くべき所もなくなった。早々にフェリーに乗って対岸の日生に向かった。
目的である中山の千枚田を堪能したので、今回の小旅行は満足である。食事が美味しければもっとよかったが。
郡上八幡からの帰り、お昼をどこでしようかと考え、7月に行った醒ヶ井を思い出した。米原の1つ手前の駅で帰り道だし、青春18キップだと途中下車OKなのでちょうどいい。
旧中山道沿いの地蔵川はますます透き通っており、小さくて真っ白な梅花藻が水中でゆらゆらと揺れていた。
古い町並みの中に旅籠屋の建物を利用した川魚料理店がある。
前は鱒フライを食べたので、今日は鱒の塩焼きにした。注文してから生簀の魚をすくいに行くので時間がかかる。ビールを飲みながら料理ができるのをゆっくり待ったが、すごく立派な座敷で床の間には大きな花瓶や置物が飾ってあり、ガラス越しに見える日本庭園は造作がかなり凝っている。
しばらくして出てきた料理は感激するほど美味しかった。
鱒の塩焼きはもちろん、味噌汁や漬物までが美味しい。もちろんこの店の腕なのだろうが、出汁の引き方など地域性もあるのではないだろうか。
奥美濃の郡上八幡に行った。
夏は一ヶ月以上にわたって郡上おどりが繰り広げられ、特にお盆の4日間は徹夜で踊られる。どんな町か歩いてみたくなった。
美濃太田まではJRの青春18キップで行き、そこからは長良川鉄道の1両列車で北上する。何度も鉄橋で交差する長良川が美しい。
長良川の支流である吉田川に沿って、郡上八幡の市街地が広がっている。4万8千石の城下町としては予想以上に狭い。町の北東にそびえる城山に登り、足元に広がる町を眺める。
ちなみにこの城は再建された城としては最古だそうだ。
城下には古い町並みがいたるところに残されている。現在の家並みは2度の大火の後に再建されたものであるが、狭い間口と深い奥行きのある建物、隣の家との間を仕切る土壁と軒先のうだつ、広い道幅と両脇の用水、など、機能的で統一された美しさがある。
辻の突き当りには必ずと言っていいほどお寺があり、それぞれがものすごく大きくて立派な建物である。防御面での戦略的な意味があったものと思われるが、それにしてもこの町の財力を偲ばせる。
夕食後に下駄をカラコロいわせながら夜の町を散歩した。看板を照らす明かりと祭り用の提灯の光以外はほとんどなく、辺りは暗い。祭りのとき浴衣を着た男女が踊り明かす様子を想像しながら、薄暗い通りのそぞろ歩きを久し振りに楽しんだ。防犯上問題なければ、この方が風情があっていいもんだ。
郡上八幡のもう1つの特徴は水である。町の中心を流れる吉田川と、そこに流れ込むいくつかの支流、そしてそこから引かれた用水が道の両脇を音を立てて流れている。
用水は飲料水や生活用水として日常使われる工夫がしてあるし、少し深いところではコイやイワナやヤマメがたくさん泳いでいる。
吉田川に掛かる新橋の欄干から、子供たちが度胸試しに急な流れに飛び込んでいた。12mもあるそうで、さすがの地元の子供でもちょっと勇気がいるらしく、気合が入って飛び込むまでに数十分もかかる子もいた。

さて、水といえば魚であるし、長良川の支流吉田川といえばもちろん鮎である。
天然鮎の塩焼きは魚の肉の甘さと塩の辛さと内臓の苦さがミックスされて絶妙の美味さである。
写真手前は鮎の刺身である。あまり食べたことがないが、言われているように確かにスイカかキュウリのような香りがした。
8月24日は京都雲が畑の松上げの日。若狭のお水送りから愛宕山の献火行事に結びつく、この地域の各所に伝わる火のお祭りの1つと考えられている。各地のお祭りがだんだんショー化していった中、雲が畑の松上げだけが素朴な形式を保存している。
毎年この日は雲が畑の料理旅館「洛雲荘」に泊まり、美味しい川床料理をいただいた後松上げ見物をする。今日のお泊りはいつもの賀茂川源流横の建物ではなく、道を挟んだ少し高いところの建物。
この二階家にたった3人の贅沢、縁側で川の音を聞きながら山を眺めていると心が静かになる。
夕食は川床の上で京料理の懐石。いつも同じメニューだが次はあれだと楽しみになるくらいの美味しさ。
メインは鮎の塩焼き。
松上げが始まる8時前には、近くのお寺に移動する。村の人が集まって正面の山で行われる松上げを見物する。われわれも一緒に入れてもらってその時を待つ。
鉦の合図と同時に真っ黒なシルエットのみだった山の中央辺りに赤い火が点る。最初は横一線だった火が燃え盛る頃を見計らって立ち上がり、1字の漢字を現す。その字は毎年異なり、点火されるまで担当の者以外は誰も知らないそうである。
しばらくすると、1点の火が文字から離れて下に向かって動き出す。点火した若者が火を松明に移し、その明かりのみを頼りに漆黒の山道を駆け下りてくる。
皆が待つお寺に下りて来た若者は松明をばらして焚き火を燃やす。次々と駆け下りてきた松明で、やがて大きくなった火でスルメを焼き、お神酒とともに集まった村人とギャラリーに配られる。
花背や広河原などで行われ年々有名になる松上げに比べて、規模も派手さも敵わないが、素朴さのなかにもドラマ性も備わっていて、何より村人の願いが直接伝わってくる良さがある。
今年はたまたま日曜日だったせいもあるのか、地域外の見物客が多かったようだ。
観光化されても困るが、住民を中心に少しずつ賑やかになっていって欲しい。
雲が畑松上げのホームページ 残念ながら最近は更新されていません。
青春18キップで福山まで行き、そこからバスで鞆の浦に行った。 鞆の浦は北前船などの西回り航路の船の重要な寄港地として栄え、当時の面影を残した町並みが保存されている。
港を囲う階段状の石段は雁木と称される荷揚げ用の港湾施設で、潮の干満に関わらず作業ができるように工夫されている。建設した人の名として下蒲刈島の三ノ瀬と同様福島正則が登場するのが可笑しかった。きっと秀吉か家康に命令されて渋々資金を出したに違いない。
福禅寺の対潮楼は朝鮮通信使の迎賓館として使用され、通信使が客殿からの眺望を「日東第一形勝」と称賛し書を残し、この座敷を「対潮楼」と名付けた。外交辞令には違いないが、窓を開け放した時の景色は確かに美しい。
住職の弟さんが説明してくれたが、子供の頃ここで昼寝をすると潮風がすごく気持ちよかったそうだ。周りのホテルや二階建ての民家の上のテレビアンテナもなく、すぐ足元まで海で、釣竿をかついですぐに魚釣りに行けたそうだ。
今この鞆の浦で、道路の渋滞を緩和させるために港の一部を埋め立てたり橋を架けたりする計画を巡って、住民生活の利便か歴史的景観の保全かという論争がおきている。難しい問題ですぐに結論は出ないだろうが、じっくり論議して欲しい。そして人にとって幸せとはなにかということを示して欲しい。
盂蘭盆の今日、京都五条の西大谷本廟にあるお墓にお参りした。
まるでサウナのような猛暑の中、京都は観光客であふれていた。けっこう皆なタフだな。お盆なので西大谷もさすがにお参りの人が多い。
京都にはなにもゆかりはないが、安芸門徒の縁でお西さんの墓地にお墓をおかしてもらっている。墓地といっても地下の戸棚みたいなもんだが。
四条の祇園にある八坂神社の門下に古い旅館がある。企業が提携(?)して新しい経営を行っているが、レストランでは京のおばんざいとおくどさんで炊いたご飯を食べさせる。
冷房の効いた席でゆっくりビールを飲みながら柚子湯葉とろろ膳をいただいた。
越前福井の永平寺に行った。急ぐ旅ではないので、青春18きっぷを使った。芦屋から敦賀まで直通の新快速を利用すれば雷鳥より便利かもしれない。
まずは九頭竜線で越前大野へ。大野は蕎麦が美味しい山間の城下町で、2~3時間で街中が歩いて回れる大きさがとてもいい。
霊峰白山の伏流水が町のあちこちから湧き出し、夏でも10数度の冷たい水が豊富に流れている。御清水(おしょうず)は殿様の御用水で名水百選にも選ばれた。子供たちも冷たい水に手を浸して一休み。
市街南部の本願清水は天然記念物のイトヨの数少ない生息地で、その名も糸魚町(いとよちょう)にある。側にはイトヨに関することを展示した「イトヨの里」が建設されているが、残念ながら月曜日は休館だった。 
大野は地元産の蕎麦粉と名水を活かした蕎麦が美味しい。大野を訪れた目的は実はこれである。おろし大根と削り節をかけた越前おろし蕎麦が有名。蕎麦の旨みを引き出した一番美味しい食べ方かもしれない。
翌日は曹洞宗大本山永平寺に行った。
かつて福井県の営業をやっていた頃門前まで何回か行ったことはあるが、境内に入るのは初めてだ。
ここは禅の道場で、雲水が黙々と修業に励んでいる。建物は荘厳だが華美な装飾もなく、時の権力を連想させる文化財も少ない。
七堂伽藍の一番奥まったところにある法堂(はっとう)内部。禅師様の説法などが行われるお堂で、ご本尊は聖観世音菩薩。
天井から下がる飾りは黄金に満ち、意外なきらびやかさを示していた。
何年振りかで西の京の薬師寺に行った。
昔に比べて金堂や大講堂が再建されて賑やかになっている。
しかし凍れる音楽と評された東塔はその端正な姿を保っていた。
有名な寺社は何度も戦火や落雷による火災で焼け、そのたびに再興されてきた。それだけ宗教的あるいは政治的な意味があったのだろうが、現在に古い社寺を再興する意味はなんだろう。
神戸大丸で開催されている展覧会に行ってみた。わりと地味な作者かと思っていたら大間違いで、隙間のないほど人でいっぱいだった。認識不足ですみませんでした。
賀茂川に沿ってぶらぶら歩いた。賀茂川と高野川に分かれる辺りで大きな森に突き当たり、その森の中に下鴨神社が鎮座する。
昔はさぞ賑わったであろう港に行くと、ほとんど船の姿は見えなかった。新しい岸壁を建設中の看板が立っていたが、いつ完成するのか分からないような表示だった。やや北には小樽に行く日本海フェリーが着岸する新敦賀港がある。
明けましておめでとうございます。
冬でも暖かい瀬戸内の島を旅してみたかった。子供の頃の郷愁もある。
広島県竹原市の忠海港から船に乗って大久野島に渡った。たった十数分の船旅である。大久野島は戦時中軍により毒ガスが製造され、戦後もその処理で長い間立ち入りが禁止されていた。今は国民休暇村が設置され憩いの島となっている。島内は一般の車は走行できず、放し飼いのウサギがのんびり遊んでいる。夏は海水浴やキャンプで賑わうのだろうが、今は少数の年寄りがブラブラしているだけだ。
瀬戸内の魚と有機野菜のバイキングが食べられると期待して行ったが、料金的にもまああんなものだなというレベルであった。
帰りはフェリーで海を渡った。一般車禁止なのにフェリーがこの島に寄港する理由が分からない。
でもそんなの関係ない!(か?)
次の日は大崎下島の御手洗に行く予定だったのだが、船の便が少なくて十分時間が取れそうもないのであきらめ、橋の架かっている蒲刈島に渡った。これらの島には昔の貿易船や北前船が寄港した港町がある。西国大名の参勤交代にも船が使われた。従って以前はものすごく高い文化と商業活動がここにはあったが、今は行くにも不便な所になっている。写真は下蒲刈島の三ノ瀬で、朝鮮通信使も立ち寄り竹原出身の頼山陽も駆けつけて学問や文化を学んだという。
蒲刈島の西隣の倉橋島に鹿老渡という入り江があり、ここも大型船の風待ち潮待ち港として栄え、多くの遊女がいて賑やかだったそうである。これらはまさに私が生まれ育った呉市阿賀町の目の前の海で展開されていたことになる。坂本龍馬や西郷隆盛だって何度も行きかったことだろう。でも小中学校で教わった記憶がなく、つい最近までちゃんと認識していなかった。受験問題にはでないからだろうけど、郷土の歴史はちゃんと教えておいて欲しかった。
興福寺本坊の大圓堂の本尊である聖観音菩薩立像は、本来は厨子の扉は閉められていわゆる秘仏であるが、現在特別公開されている。鎌倉時代の作と伝えられており、秘仏であるため形はもちろん色彩も非常に良い状態で保存されている。鎌倉時代の作との解説だが、平安時代の阿弥陀仏などに面影が似ているような気がする。
同時開催されている国宝館の乾漆八部衆像も久し振りで拝観した。天平6年に創建された西金堂に安置されていたそうだが、むしろこちらの方が相当にリアルな表情である。
十代のころ見た阿修羅像の三面は、怒り、悲しみ。不安を表しているように見え、見つめたきり暫し離れることができなかった。しかし今日見るとあきれるほど穏やかで、まるで気が抜けたような顔に見えた。自分の気が抜けてしまったからだろうか。
(画像はいずれもパンフレットから)
高山市街を通過し荘川に行った。ここの手打ち蕎麦も美味しいが、目指したちょっと面白い店は臨時休業で残念だった。
琵琶湖の北に静かに広がる余呉湖の畔にある徳山鮓は、本格的な熟鮓を自ら漬ける店として好きな人には知られている。食べるのなら日本酒を飲みながらと思い、泊まりで行った。
鮒鮓は丁寧に作られておりまるで美術品のようだ。食べて旨いことは言うまでもない。熟鮓のほかにも天然の鰻や山椒などは自ら山に入って採ってくるそうだ。まさにスローフードの権化のようだ。
残念ながら時期的に鮒以外の熟鮓はまだ漬けあがっていなかった。雪の積もる頃に行くといいのだろう。
その他の料理は「最後の晩餐」で。
京都洛北から近江に行く途中に大原を通過する。若狭から京の都に東北の物資や食料を運んだ鯖街道の終点に近い物流の要衝にあたる地域である。
紅葉にはまだ早いので三千院には寄らず、数十年ぶりで寂光院に行った。建礼門院が壇ノ浦合戦後安徳天皇と平家一門の菩提を弔った尼寺である。
2000年の火災(放火が疑われている)で全焼したが、現在は古式とおりに復元されている。
本堂前の姫小松は平家物語の大原行幸に登場する樹齢千年の松であるが、火災時に痛みついに2004年に枯死した。
大原から朽木街道を通って北近江に行った。ここは観音の里といわれるほど古い観音をおまつりした寺やお堂が多い。中でも一番好きなお堂が石道寺だ。何百年もお守りしてきた地元の方とおしゃべりしながら観音様の前で過ごす時間は他では味わえない穏やかな時間である。
京都嵐山の車折神社近くの蕎麦屋で昼酒と蕎麦をいただいた後、神社内を散策した。境内は薄暗いくらい茂った森と色鮮やかな赤い垣根で、平安時代から続く不思議な雰囲気を醸し出している。
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